SSブログ

介護者に「要介護者の死を受け入れらるか」を確認することの重要性について [番外編]

 先日、埼玉県で介護が終了した直後の介護者(親族)が在宅医療チームに対して猟銃を使って殺傷する事件が発生しました。
 報道から断片的な情報が集まってきています。しかし、介護をしたことのない記者さんたちが作った記事のため、どうも情報として不適切な事項も混ざっています。
 今回は、報道の内容について、介護者の視点からの意見を加えつつ、表題の大問題について意見を述べたいと思います。

【病院で診察順番について優先する行為について】
 病院で診察や検査のため順番待ちをするのは、いつもの光景です。しかし、コロナ後は事前準備(消毒や十分な安全間隔の確保など)のため、より一層時間がかかるようになっていると思われます。
 高齢者で具合が悪い人の場合、車椅子などで待つにしても長時間になるとそれだけで具合が一層悪くなる場合があります。
 一般的に介護者は、常に介護をしている場合、要介護者の状況変化を容易に予測したり、悪化した状況を把握できるようになります。
 一方、看護師としては、容易に診察・検査の順番を変えることは出来ないため、押し問答が発生したと思われます。
 報道では、いかにも悪人のように報じられていましたが、病院ではよくある光景です。病院側も困っていたことは容易に想像できますが、最終的に優先扱いにしていないのであれば、病院側もスジを通しているので問題があるとは思えません(警官が出動するような騒動になっていたなら話は別ですが)。
 そもそもの話として、個人情報に当たるこのような情報をベラベラと記者に話す医療関係者は、自身の言動(記者に対する情報提供)は医療関係者として許容されないことを認識するべきでしょう。そういう意味ではこの病院も診察や検査に来ていた患者や患者の家族に対して問題行動をとっていたことが推察されます。

【在宅介護の困難さについて介護者と十分に話あったのか?】
 本題に入る前に一番気になっているのは、今回事件を起こした介護者とケアマネージャーや医療関係者が十分に在宅介護の困難さについて話し合ったのか、不明な点です。
 通常、ケアマネージャー(介護支援専門員)は、要介護者のことだけを考えていることが多いです。介護者は、「介護して当然」「介護士や医療関係者の出来ないことは介護者が全部やるべき」と言った感じになりがちです。そのために老老介護では介護が破綻して頻繁に事件が発生しています。
 経済的な理由や介護に対する考え方などもあり、在宅介護以外の選択肢を最初から拒否する場合もあります。
 また、在宅医療チームが入っている場合には、在宅医療チームが見取りまで行うことを前提として活動するために病院や特養などへの選択肢が提示されないケースもあると考えられます。
 今回のケースでも介護者は、医療(介護)相談窓口を頻繁に使っていたようですから、そういう意味では、介護者も自分一人で介護することの限界を感じて、救助シグナルを周りに発信していた可能性が考えられます。
 現状では、介護者の悩みを相談できる窓口や介護者の介護限界を見極める制度が無いため、最終的に介護者の精神的な破綻を見落としたのでは無いかと私は考えています。

【要介護者の死を受け入れられるか?】
 家族介護の場合、要介護者の死を最終的に受け入れることができるかどうか、が非常に重要になります。介護をしていない家族にとっては、要介護者の死は、客観的に見つめることが出来ます。一方、最後まで介護をしていた介護者は、多くの場合、自分を責めることが多いです。
 家族介護は、どこまで行っても素人介護です。介護士や看護師などは、たくさんの事例に接して経験を積むことができますが、家族介護の場合には、多くは最初で最後の経験となります。その重圧は想像を絶するものであり、この点を厚生労働省も医療関係者も介護関係者も重大な事案であると理解する必要があります。
 そもそも要介護者の死を受け入れることが出来ない人(介護者)に介護を委ねるべきでは無かったと私は考えています。この部分の説明をケアマネージャーが介護者にした時に激しく介護者が反発したり、罵ったりするようなら、要介護者を医療施設や介護施設へ移し、在宅介護(家族介護)は終了させるべきだったと思います。

それでは本題に入ります。
【介護者に対する教育・情報提供制度の拡充が必要】
 現在、介護者に対する行政レベルでの具体的な支援制度は何もありません。せいぜい相談窓口を設置するくらいでしょう(と言っても愚痴を聞く程度の機能しかない)。
 私は、もっと根本的な部分を整備しなくてはならないと考えています。
 具体的は以下の通りです。
1)家族介護を始める介護者は必ず、各地方自治体が主催する研修会に参加すること。
2)研修会では、介護制度の仕組み、介護期間(平均5年)の病状の変化、要介護者の死についての説明を行う。
3)研修会は少なくとも年1回は実施し、介護状況が似たようなグループ毎に実施する。
4)介護者がいつでも介護をギブアップできることを伝え、その場合には受け入れ施設があることを説明する。
5)相談窓口を設け、定期的に相談できる体制を拡充する。相談窓口は支援制度と連動させる。
6)ケアマネージャー、介護士、看護師、医師、相談員なども介護者を支援する体制を整備する。

 一般の方にはピンと来ないと思いますが、ケアマネージャー、介護士、看護師、医師、役所などに共通するのは、要介護者のことだけを考えている点です。つまり、家族介護の場合、介護者のことが置き去りにされ、その結果、介護者が精神的、肉体的に破綻するとそのままドミノ倒しで事件が発生します。
 老老介護の場合に頻発する事件の多くは、家族介護者の異変に気が付けば防げた場合がほとんどです。
どうして気が付かないかと言えば、自分たちの労力が増えて、面倒なことになるからです。多くの場合、在宅介護を諦めて、特養や病院などに要介護者を移さなければなりません。
 一方で介護者は、自分の体の一部を剥がされる思いになり、必死に抵抗します。
 だからといって放置しても既に介護者の介護能力を超えている状況では、いずれ介護破綻となり、その結果が刑事事件として表面化することになります。

【今後も同様の事案が増加すると思われる】
 今回は、介護者が猟銃を所持していたために大きく報じられましたが、仮に猟銃を持っていなかったとしても同様の事件を起こしていたのではないか、と私は考えています。
 そもそも介護者に全てのしわ寄せが行くような現行の介護制度では、こういう事態は今後も発生すると予見できます。今回は、一番弱い立場のはずだった介護者が武器を手にしたために、結果として、相対的に一番弱い立場となった医療関係者が犠牲になったのだと思います。
 要介護者が700万人に迫る状況であり、かつ、在宅の要介護者(要支援を含む)は400万人もいます。要介護者には最低一人の介護者が必要となります。その介護者を家族が担う場合、相当の知識や覚悟が必要となりますが、いまだに研修制度も相談制度もほとんど実効性のあるものになっていません。

 早急に家族介護の場合の介護者(家族介護者)に対する研修制度や支援制度を充実するべきだと思います。  さらに老老介護に関しては、介護者の能力や限界を見極めて早めに家族介護を終了させる努力を関係者を行うようにするべきです。  老老介護は、逃れることができない奴隷制度のような面があり、事件に発展する可能性が高いことを認識し、原則として法律で禁止するべきだと私は考えています。

 亡くなった医師の無念を思いつつ、この記事が将来の介護に関わる事件を防ぐための一助になることを期待しつつ投稿します。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。